埼玉県越谷市「火草」は、大庭みな子がアラスカから日本に送った初期作品である。題材として、この小説には単純な観点では語れない困難さがあり、そのせいか、これまで触れられることはなかった。 本稿では、作者のなかの、あるいは作者の背景としての「日本」「女性」というファクターが、このテクストに登場するネイティブたちの過去・現在とどのように切り結ぶのかを、修辞的な面と主題・内容の面とから考察した。 極北の地アラスカは、古くからネイティブたちが独自な宇宙観にもとづいた生活文化を築いていたが、近代化する欧米の波をロシア・アメリカを通して被り、文化的に制圧されてきたことは周知のところだ。このような場所に、後発国として企業進出した日本人の妻として移住した作者は、もともと自身がジェンダーとして差異化された性であることの問題性に明晰な目を向けていた。けれどもここでさらにネイティブの問題に出会う。これは極めて今日的な課題の先取りだったと言えよう
『おもろさうし』は嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集である。従来、言語資料としてこの歌謡集を分析した結果、イ段やウ段に由来する語がかえってエ段や...
筝曲の「段物」には、一種の重音奏法といえる「掻手」、「割爪」の技法がよく現われるが、この研究は、それらの技法が、単旋律音楽の中にあって、どんな意味をもっているのか、またどんな機能を果たしているのかを分...
本稿では,一般言語学における伝統的なコピュラの定義が日本語の指定・断定の助動詞と呼ばれる形態にも整合するか否かを検討した。その結果,「である」「だ」「です」のコピュラ機能が希薄である一方で,「なり」は...
宇江佐真理氏の時代小説『通りゃんせ』は、初出『野性時代』掲載時には「本所八名川町」と地名表記されたが、単行本及び文庫出版に際し「深川八名川町」と訂正された。出版社校閲より江戸八名川町は本所ではなく深川...
本研究はタイ語母語話者における日本語条件節習得の問題点について検討したものである。タイ語を母語とする日本語学習者338名に条件節の習得に関する調査を行い、調査結果を学習者の母語との対照を基にし、習得状...
九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)に九条道家が残した惣処分状に唯一郡名で載せられた家領であり、これまで九条家とそこから分かれた一条家の一円領であったとされてきた。しかしながら、この家領の...
埼玉県越谷市『源氏物語』における「うちとく」の語義は「外部に対する構えを解く」ということが中心であると考える。ここから派生するさまざまな用法は、気を許してくつろいでいる状態と、人に心を許すという状態の...
[[abstract]]本論文是以句子敘述類型的觀點來探討日語中置於主語的第一人稱在何種情況下會被使用及不被使用。日文中的主語常會被省略,第一人稱代名詞在主語位置時也不例外。但事實上,文章內常可以看到...
助動詞「ベシ」は本来ク活用だが,中世室町期にはシク活用化したものが見られる。本稿では,シク活用が「ツ+ベシ」である「ツベイ」でのみ起きることに注目し,「ベシ」の意味の二面性とモダリティ体系の史的変遷と...
近世歌舞伎脚本の国語史的な資料性を検討する基礎作業として、黙阿弥の世話物におけるハ行四段活用動詞の音便形を取り上げ、計量的に調査した。その結果、促音便が圧倒的である同時代の他のジャンルに比べて、歌舞伎...
辞書類などでは「についての」と「に関する」が同じ用法を持つものとして扱われており、一方「に対する」は「についての」や「に関する」とは別の用法を持つものとして扱われている。それに対して本稿では、この三つ...
本小論は、多和田葉子の文学に焦点を絞り、さらに、言葉がその特性や偉大さを証明する鍵であることを前提にし、多和田の言葉遣い、言語遊戯、文体を中心にし、具体例に重要性を置きながら作品を分析していく。さらに...
Publisher奈良万葉集の歌語の中には、「タマー」という形で熟語となるものが十指を超えてある。それらは、歌の中でいわゆる枕詞となるものがほとんどであるため、従来その意味のあり様がややもすると単に修...
テイル形は初級に出た文法項目であるものの、中国語話者の習得は早い段階に固定され、中級や上級になっても顕著な変化が見られないとされている。本稿では特にタの誤用が多く出ている過去テンスの「進行中」と現在テ...
念戒一致ということばがあるが、そもそも念仏行と戒行は一致しない。厭穢欣浄の念仏は現世否定(いかに浄土に生まれるか)の行法、仏教道徳の戒は現世肯定(いかに娑婆で生きてゆくか)の行法である。もし両者が一致...
『おもろさうし』は嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集である。従来、言語資料としてこの歌謡集を分析した結果、イ段やウ段に由来する語がかえってエ段や...
筝曲の「段物」には、一種の重音奏法といえる「掻手」、「割爪」の技法がよく現われるが、この研究は、それらの技法が、単旋律音楽の中にあって、どんな意味をもっているのか、またどんな機能を果たしているのかを分...
本稿では,一般言語学における伝統的なコピュラの定義が日本語の指定・断定の助動詞と呼ばれる形態にも整合するか否かを検討した。その結果,「である」「だ」「です」のコピュラ機能が希薄である一方で,「なり」は...
宇江佐真理氏の時代小説『通りゃんせ』は、初出『野性時代』掲載時には「本所八名川町」と地名表記されたが、単行本及び文庫出版に際し「深川八名川町」と訂正された。出版社校閲より江戸八名川町は本所ではなく深川...
本研究はタイ語母語話者における日本語条件節習得の問題点について検討したものである。タイ語を母語とする日本語学習者338名に条件節の習得に関する調査を行い、調査結果を学習者の母語との対照を基にし、習得状...
九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)に九条道家が残した惣処分状に唯一郡名で載せられた家領であり、これまで九条家とそこから分かれた一条家の一円領であったとされてきた。しかしながら、この家領の...
埼玉県越谷市『源氏物語』における「うちとく」の語義は「外部に対する構えを解く」ということが中心であると考える。ここから派生するさまざまな用法は、気を許してくつろいでいる状態と、人に心を許すという状態の...
[[abstract]]本論文是以句子敘述類型的觀點來探討日語中置於主語的第一人稱在何種情況下會被使用及不被使用。日文中的主語常會被省略,第一人稱代名詞在主語位置時也不例外。但事實上,文章內常可以看到...
助動詞「ベシ」は本来ク活用だが,中世室町期にはシク活用化したものが見られる。本稿では,シク活用が「ツ+ベシ」である「ツベイ」でのみ起きることに注目し,「ベシ」の意味の二面性とモダリティ体系の史的変遷と...
近世歌舞伎脚本の国語史的な資料性を検討する基礎作業として、黙阿弥の世話物におけるハ行四段活用動詞の音便形を取り上げ、計量的に調査した。その結果、促音便が圧倒的である同時代の他のジャンルに比べて、歌舞伎...
辞書類などでは「についての」と「に関する」が同じ用法を持つものとして扱われており、一方「に対する」は「についての」や「に関する」とは別の用法を持つものとして扱われている。それに対して本稿では、この三つ...
本小論は、多和田葉子の文学に焦点を絞り、さらに、言葉がその特性や偉大さを証明する鍵であることを前提にし、多和田の言葉遣い、言語遊戯、文体を中心にし、具体例に重要性を置きながら作品を分析していく。さらに...
Publisher奈良万葉集の歌語の中には、「タマー」という形で熟語となるものが十指を超えてある。それらは、歌の中でいわゆる枕詞となるものがほとんどであるため、従来その意味のあり様がややもすると単に修...
テイル形は初級に出た文法項目であるものの、中国語話者の習得は早い段階に固定され、中級や上級になっても顕著な変化が見られないとされている。本稿では特にタの誤用が多く出ている過去テンスの「進行中」と現在テ...
念戒一致ということばがあるが、そもそも念仏行と戒行は一致しない。厭穢欣浄の念仏は現世否定(いかに浄土に生まれるか)の行法、仏教道徳の戒は現世肯定(いかに娑婆で生きてゆくか)の行法である。もし両者が一致...
『おもろさうし』は嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集である。従来、言語資料としてこの歌謡集を分析した結果、イ段やウ段に由来する語がかえってエ段や...
筝曲の「段物」には、一種の重音奏法といえる「掻手」、「割爪」の技法がよく現われるが、この研究は、それらの技法が、単旋律音楽の中にあって、どんな意味をもっているのか、またどんな機能を果たしているのかを分...
本稿では,一般言語学における伝統的なコピュラの定義が日本語の指定・断定の助動詞と呼ばれる形態にも整合するか否かを検討した。その結果,「である」「だ」「です」のコピュラ機能が希薄である一方で,「なり」は...